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歳三の昼寝の世界は

某日、 本陣の歴史に触れたい人、根強い新選組フアンが、 畳が埋めつくされるほどの人出であった。
その中に10人近い女子高生と思われる集団がやってきた。
「は~いこちらが土方歳三が昼寝した場所です」
「わ~此処が歳さんが寝た場所だ~」と感激、興奮の局地だったのであろうか、一人が畳の上で横になる。 それを追うように、ばたばたと目の前で当たりを憚らず、全員が見事に寝てしまった。
これから競りに懸かるマグロの群れ、まるで魚河岸のマグロが横たわる壮観なシーンを目の前に見るようである。
小心者じいさんも、余り格好よくない姿に、たじたじ、目の置き場に困って しまった。

           <歳三が寝てしまった、本陣、式台のある玄関口>Image5華も恥じらう時代は遠い昔話、奔放な若者は歳さんの世界に身をおいて、遠い幕末の夢想の境地に入って しまった。
振り返って、ふと其のとき歳三の世界はどうであったのであろうか?、
以下、時系列に時代を追って、歳三の世界を追って見る。

◇元治元年(1864)6月『池田屋事変』
30人程の倒幕の浪士との池田屋の死闘、休む間もなく残党浪士狩りで翌日まで寝ずに続けた一日であった。

◇同年7月『蛤御門の変』

        <六斤袍が火を噴いた『蛤御門の変』>

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長州藩はこの池田屋事件で暴発し、御所へ突入、蛤御門で会津、桑名藩と激突六斤袍が火を吹き、洋式銃など登場し、近代戦に突入する。一進一退であったが薩摩藩兵かけつけで長州側は敗退する、所謂、『蛤御門の変』が起きる。
新選組も幕府軍として参加し、永倉新八、原田佐之助など負傷する、
こうして『池田屋事変』から1カ月半に及んだ騒乱の日々は一応の集結をみた。
同年8月新選組は功績では幕府から評価され、500両の報奨金を貰った、

幕府は『蛤御門の変』の勝利の勢いで、長州征伐に転進しようと諸藩に準備させたが、肝心の総督役が中々決まらず、2カ月後の10月になって漸く決まった。
◇同年8月『建白書提出』
近藤は再び「天狗」になり、隊士から家来のように扱うと、永倉新八、斉藤一、原田佐之助、島田魁、尾関雅次郎、葛山武八郎は会津藩に近藤の非を訴え、近藤は会津藩に注意される。

◇同年9月、隊内粛清相次ぐ脱走などを含め、新選組組織維持のため歳三は腐心した。
前述の近藤「天狗」問題は局長批判が謹慎と言う軽い処置では、再発し、組織として機能不善に陥ることが予想されると、判断する。組織維持のため、事件に連座した葛山武八郎を切腹させ、局長批判など不満の根を絶ち、他の隊士にも、見せしめた。
連座した他の古参隊士は重みの違いから、処分も分けたようである

◇同年10月近藤、江戸へ
近藤は会津藩主、松平容保公の内意を受けて、将軍の進発を促すため、永倉他を連れて江戸に向かい、老中と面会する。
新選組は将軍上洛が聞き入れなければ、幕閣暗殺など、会津藩は噂を流し、身分の違いなど、意識せず応分の面会を受け入れさせた。
池田屋事変が長州側に留まらず会津藩など内外とも衝撃的な事実として、影響を与え、新選組の名を高めた。

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◇、慶応元年(1865)2月山南敬助切腹
試衛館以来の仲間が何故亡くなったか、? 発病から、総長と言う看板を付けたが直属の部下もおらず、組織のラインから外れた。病変から池田屋にも参加できず、疎外感から自ら死においおこんだのであろうか、・・・。
しかし、これによって歳三の意向が隊内で通りやすく、なったのであろう

◇同年3月、歳三、伊東甲子太郎、斉藤一と伴って隊士募集で江戸へ
4月歳三、江戸の仕事が一段落、文久3年(1863)の上洛以来、2年振りの里帰り。
数日後、石田村から日野宿へ、佐久間象山の書を土産に佐藤家へ行く。
建物は文久3年完成し、この時が初めてであり、2日間滞在した。
この時に式台に面する部屋で寝てしまった。
同月、新人隊士53人の大集団を連れ、再び上洛する。

☆ほっと、夢の中
2年前、浪士組として上洛、京の治安維持で評価され、組織的な活動で『池田屋』の死闘継いで会津藩の配下で『蛤御門の変』で本格的な戦闘体勢で新選組が幕府軍の第一線に立つている。
その間、不満分子の集団脱走や、隊士の病気などで『池田屋』の戦闘には34名の出動になってしまった。
歳三は新選組の参謀役として、第一線に立ちながら、より強固な組織造りに、新人隊士を積極的に行った。一方では、組織内の体勢維持の為、時には鬼になって、切腹などで維持に勤めた。
新選組の成長過程に忙殺される歳三であったが、江戸で念願の隊士募集に目途が立ち日野へ来た。束の間の安らぎに安堵したのか、5月の爽やかな風に、気付いた時にはふと、昼寝の世界に入ってしまったのであろう。

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