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絵画館と周辺に残す戦前の遺稿

プーチンを首相の故郷、山口まで招いての日露交渉、北方四島返還は日本の思い込みだけが一人歩きして、テーブルにも乗らず、厳しい現実に叩きつけられた。
第2次世界大戦後、日本は旧ソ連から宣戦布告を受け、日本は敗戦、終戦後はアメリカのGHQにより北方領土を含む日本の行政権を停止された。
これにより北方領土はソ連の領地となり、千島列島の領有を放棄した。
1951年サンフランシスコ平和条約で戦勝状態は終結し、日本の領土占有も解除された。
但し、北方4島の旧ソ連とは個別の条約が必要であった。
1956年、日本と旧ソ連との条約で日本は歯舞と色丹、旧ソ連は国後と択捉を所有することで話を進めていたが、アメリカが反対し、この妥協なら沖縄返還はしないと横やりが入り、交渉は行き詰まった。
第2次世界大戦の戦勝国の既得権がそのまま、まかり通り、その糸口さえ掴めないのが現状である。
◇此処にもある、樺太国境標
北方四島と言うと避けて通れないのが樺太国境標である。
第2次世界大戦前にあったロシアと日本との間には樺太国境標があった。
そのモデルが明治神宮絵画館の前にひっそりとあり、改めて見てきた。

Img_6881何故、此処にと言うと、司馬遼太郎作品「坂の上の雲」の語りに繋がってしまう。
(日本海海戦)
清(中国)の遼東半島(りょうとうはんとう)という場所は、不凍港として戦略的に重要な位置にあり、南下を図るロシアと遂に日露戦争になる。
日本のような小国は極東で大ロシア帝国と戦える程の実力はないと、巨大な軍事国家ロシアは南下を続けた。 ロシアは旅順の要塞の強化し、シベリア鉄道で満州に兵力を送る侵略意図を持ち続け、遂に開戦に突入した。
世界に冠たるバルチック艦隊がヨーロッパから日本海に向かってやってくる。
日本海軍の連合艦隊は、戦艦:三笠、敷島、富士、朝日  巡洋艦他で迎え撃ち。
練度の高い艦隊を背景に東郷平八郎は、指揮能力、統率能力も秀で、恐れたバルチック艦隊を戦艦6隻、巡洋艦4隻撃沈し、日本が勝ってしまう。
(英国の海軍研究家評)
この海戦は白人優勢の時代は終わった、歴史上の一頁。欧亜という人種のあいだに不平等が存在した時代は去った。将来は白色人種も黄色人種も同一の基盤に立たざるを得ないであろう。この海戦が世界史を変えたことを指摘している。
(講和条約)
明治38年(1905)アメリカのポーツマスにおいて、我が国とロシアは講和条約をに調印し、日露戦争は終結した。
米大統領ルーズベルトは我が国の講和斡旋の依頼に応じ、ロシアに講和の席に就く様勧告した。
ロシアが応じ講和会議が開かれ講和条約の調印に至った。
樺太の南半分を日本に割譲することなどが定められた。
◇樺太国境画定(かくてい)
明治39年、両国委員は国境線に至り、ボロナイ川以西の境界測量は我が国、以東は日露共同で作業を実施した。
国境画定は森林を伐採しつつ調査・測量を行い、東はオホーツク海沿岸から西は間宮海峡に至る130㎞の森林ツンドラ地帯のため、人跡未踏の場所も多く、国境線上を登破は容易ではなかった。
両国の委員は日夜山野を踏み越え水を渡って露営の生活を続け、ボロナイ川上流を初めに天測境界標を北緯50度線上に4基、中間に17基の小標識を設置した。苦心を重ねての、国境画定と言われている。

◇日本海海戦の立役者「秋山真之」
樺太国境標は小国日本が近代化への道しるべと思われる。その遠因とされる日本海海戦の立役者がこの近くに住んでいた。オリンピックで再び掘りおこされる国立競技場周辺の原は青山練兵所として、日清日露の兵士の集結場所でもあり、軍人幹部も周辺に住んでいた。
そんな過去の残影から、自然と足がそちらに向いてしまう。

JR信濃町から四谷三丁目側に向かい、左門町の手前で聖教新聞社本社が面する路地に出る。
此の路地の一画が明治・大正・昭和にかけて文筆活動を続けた「長田幹彦」の邸宅であった。
石壁に囲まれた邸宅で、この辺りは戦災にあわず、昭和30年代まで周辺は戦前からの建物がそのまま残されていた。

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その長田邸の先住者は、バルチック艦隊を日本海で迎え撃つ歴史的な日本海海戦の旗艦三笠で活躍した軍人「秋山真之」である

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日本海海戦で、旗艦『三笠』のマストに高々と掲げ、戦闘開始指令「皇国の興廃、この一戦にあり。

各員一層奮励努力せよ」の起草者が秋山中将であった。軍人には似合わぬ海軍切っての名文家と知られている。

絵画館から信濃町新旧織りまぜた佇まい。微かに残す戦前の姿、司馬遼の「坂の上の雲」此処から、大勢の若者たちが、戦地へ駆り出されたのである。

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