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『築地本願寺』

築地と言えば、豊洲への移転が見えないまま、泥沼状態で全 の先が見えず深刻な問題である。その築地のことはじめは海上 に寺の再建をはかる築地本願寺であったのである。

◇明暦の大火と震災を乗り越え
築地本願寺は江戸時代に、西本願寺の別院として浅草御門南の横山町(現在の日本橋横山町、東日本橋)にあった。
しかし江戸の三大火事と言われ、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失したる明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失する。
焼失地での復興を図ろうとしたが、幕府の区画整理のため許されず、現在の築地、海の真っ只、中八丁堀沖の海上が下付された。
延宝7年(1679)に佃島の門徒が中心に、海を埋め立て土地を築き地名の由来である『築地』となって、再建された。
「築地御坊」と呼ばれ、当時は本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。
大正12年(1923)関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、火災により再び伽藍を焼失した。

昭和9年(1934) 帝国(東京)大学工学部教授で建築家の伊藤忠太氏の設計により、現在の本堂が落成した。          
平成23年(2011) 築地本願寺の「本堂」「三門門柱(正門・北門・南門)」・「石塀」 が国の重要文化財に指定された。

◇早速、西本願寺へ
設計者伊藤忠太がインド・イスラム意識したいという設計者の思いから仏教の原点を求め仏教の発祥の地であるインド・イスラムの世界へ、赴き見識を深めた。
こうして、日本では希有な古代インド ・イスラム仏教様式の寺院として具体化された。

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屋根は突起物と菩提樹の葉の形の装飾があり、中央には蓮の花がデザインされ
ている。贅を尽くした装飾品の数々が印象的である。
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イスラム教はキリスト教に次いで世界で2番目に多くの信者を持つ宗教と言われるが日本では余り馴染みがない。
イスラム国の問題が、紛争の火種になっているのも事実であるが、軽々に語れない。

建物を前に普段見かけない、建物の洋式が独特のものを持っており、目にするもの、全く、外国へ来た感じである。

1610dsc052491正面の階段の両脇には「カルラ」」と言われる狛犬さんが迎えてくれる。よく見ると鎧を付け居丈高に上を向き、儀仗兵のような玄関番であった。

◇内部へ
内部は一転して仏教の世界。贅を尽くした天井と柱。いたるところに動物の世界、妖怪のも設計者の趣向とも言われている。

500_156201551これも獅子と言われるが、顔はユーモラスな妖怪であった。

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高い天井と広い空間が壮大で厳格な構えであるが開放的、誰でも拒ばず中に入れ、焼香が出来る。
立派なガランの元で気分も高揚する。入口に説明スタッフがおられ、館内にこらされた装飾具など丁寧に案内してくれる。

建物を支える巨大な柱、根元の鉄の部分はパイプが走り強大暖房機であったようだ。
住職がお経を高らかに唱える前で、お焼香をする。既に一昨年になってしまったが、連続続いた病魔の災禍からの再出発を祈って、健康祈願にかけた。

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ホールの背後は信者団体が寄贈した2000本のパイプから成る、パイプオルガンは月の最終金曜日に、昼頃演奏する。近隣のサラリーマンが休み時間を使って会場へ、何時も満員で立ち見も出る。演奏はバッハの作品と聞いたが、お経の世界から、一気に洋楽の世界の粋な音楽会と思える。
大きなお堂の中で響きわたるダイナミック音の世界に心酔し、冥土のみやげに一度、聞いておきたい。

江戸の伝承 文化「築地御坊」はこんな斬新な姿で今日に伝えている。

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