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日野・八王子・町田、新選組ツアー

元より、数カ月先の天気予報は全く読めないが、今回の列島台風襲来の最悪日から避けられ、日野、八王子、町田の新選組墓参ツアーは無事に遂行出来た。

雨の中での案内は大事な片腕を傘で拘束され、自由が効かなくなってしまう。、
当日の広範囲の場所に関して、隅々まで覚えきれれば、資料を見なくてもよいが、固化した脳味噌では絶対無理である。
案内資料を唯一の頼りして、抱え込み手が塞がる中、傘をさしながら、千手観音なんて、真似事は想像も出来ない。そんな台風を迎える中、案内中は雨も降らず、滑り込みで何とか御案内が出来た。

①宝泉寺   「新選組隊士井上源三郎、泰介、千人同心松五郎墓」

<格式のある宝泉寺の山門>

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日野駅で集合する。母親と小学生の子供が3組みも居るのも、特徴的である。お子さんがどう言うきっかけで、新選組との出会いが生まれたのであろうか、?
何れにしても親子の絆が新選組を通じて、繋がっているのも、羨ましい限りで、中には娘さんの方が詳しく、親が後を付いていくなんてこともあった。
日野駅を日野野駅を、定刻通り宝泉寺へ出発する。
山門前の急坂は旧甲州道、であり、日野宿の西の玄関口として西のお地蔵さんが出向かえてくれるが、その先がJRの踏み切りがあったが、列車運行の妨げ、事故等で閉鎖されてしまい、街道の機能もとざされてしまった。
山門を潜って、手入れの行き届いた石畳の両脇はけやき並木の花道に晴れやかな気分で奥へ進む。
花道の左側は旧墓、その先が新墓とされ、井上家の墓域に案内する。
新選組6番隊組長「井上源三郎」剣術も強いが、無口、温和で純朴な人柄が大河ドラマでフアンを生み墓石の前にフアンノートが置かれている。
思い込んだら一徹、淀堤、「千両松」で潔く戦死してしまったのも、そんな一因なのであろうか。小姓の井上泰助は叔父(源三郎)の首と刀持って、伏見から逃げたが、重くて、持ち帰らなかった。
時間に追われ、そこそこの説明で、大昌寺に向かう。
途中に最近、整備された日野用水の欄干から、用水を覗く。水路の水際に降りられる場所に、石田散薬、縁のミソソバが僅かに見える。「牛の額の恰好した姿が、見えるでしょう」大人も子供もしっかり、指図した先を捉え、頷いてくれた。

②大昌寺 「日野宿名主佐藤彦五郎、同ノブ墓(嘉永の火事事件、壺伊勢屋事件)」

Image21大昌寺の墓域の一番奥に旗が立ち、道案内してくれる。
上、下佐藤家、道を挟んで、佐藤彦五郎の息子彦吉の養子先の有山家の墓石が固まって集積されている。
両佐藤家に繋がる、通路の途中に馬場家の墓がある。
土方歳三のお姉さんノブが嫁ぎ、早く両親を失った歳三はノブさんを頼っている。
彦五郎始め、新選組に行かなかった日野剣士が肩を寄せ合い眠っている。
慶応3年、薩摩浪士が甲府城奪取で八王子の壺伊勢屋で集結、日野剣士七人が襲撃。
「おおーい、行くぞと」声をかければ、届く範囲にあり、眠る剣士に囲まれ、わくわくしてくる。
壺伊勢屋事件では薩摩浪士と渡り会い、激しい戦闘の上、馬場市次郎は銃で撃たれ即死、山崎兼助は襲撃三日後亡くなる。
新選組では無いが、新選組の剣術仲間で幕府を支えた集団が多数眠っている。
大昌寺を最後に日野地域は終了。バスに乗り、歳三が眠る石田寺に向かう。

③石田寺    「新選組副長土方歳三墓、土方登墓(隣接)、六地蔵、かやの木」

0327111土方性で埋まる石田寺、中でも土方歳三のフアンの墓参が絶えない。、
(新選組の評価)
倒幕をなし遂げ、新しい時代を迎える集団に破れた新選組は評価されない筈である。
幕府のために最後まで戦い、義を尽くし、殉じた姿が現代の人の心を捉えた。
中でも最後まで戦った歳三が輝いていた。
幕府の為に最期まで戦い抜き自分の死で幕府の幕引きを迎えた。新選組の精神を一人で背負い込みなりふり構わずやり遂げた。
局長ー副長ー副長助勤の縦ての命令形態の強固な組織を作り、副長が要となった。
歳三の墓参を行い、バスに乗り、遣水の大法寺へ向かう。

④大法寺   「新選組隊士横倉甚五郎墓」

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日野に隣接する八王子出身の新選組隊士横倉甚五郎、中島登、斉藤一諾斎が居る。
今回。廻れるひとつが横倉甚五郎の墓がある大法寺である。
慶応3年(1867)油小路事件で伊東甲子太郎を暗殺。天満屋事件など関わる。明治2年弁天台場で降伏、同年10月東京へ伊東甲子太郎 殺害事件の尋問を受け、獄死する。
Img5171同郷の中島登とが絵心で通じる中、「勇像」を残し、護送される。、中島は横倉の後を継ぎ、絵を描いている。絵を通じ、横倉の遺志を中島登がきちんと継いでいる。
「勇像」の背後に書かれているのは、有名な勇の辞世である。

⑤保井寺    「新選組隊士斉藤一諾斎墓」

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八王子ニュータウンが見える高台に墓域が広がる。住職であった斉藤一諾斎は55歳で新選組に入隊。隊士として戊辰役で戦うが仙台で降伏する。八王子に戻り、地元で子弟教育から民権運動家等生み出し、教育者として評価され、顕彰碑が残される。住職から隊士、教育者など逸材の新選組隊士である。
バスで八王子堀之内から小野路へ向かう、資料館に面する道は昔のまま、大変狭い道であった。

⑥小島資料館 「寄場名主邸宅、天然理心流近藤勇他の出稽古先、新選組資料」

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小島館長が直々に館内を案内して頂いた。
天然理心流の出稽古で近藤周助他、近藤勇、沖田総司、山南敬助他門弟が多く、同家に訪れ、稽古は庭でやっていた。
庭を新しく作るために上野から灯篭を持ってきたが、真ん中に穴が空いているのは彰義隊の鉄砲の跡が残っている。
小野路の地形が200年前の昔のまま、残っている。小野路の宿は八王子、調布、府中に繋がる、船の利用で府中が一番、重要、旅籠が600もあった。
Canvas1111色々陳列品があるが重量6キロもある鎖帷子(くさりかたびら)、祇園祭の一番暑い時期に勇はこれを着て池田屋騒動で戦った。鎖着こみ・鎖甲(かぶと)・鎖手袋を併せると約10㎏大変重く暑く、頭から汗が流れ眼が開けられない状態に推測される。戦闘中、藤堂平助は暑いのでそれを脱いだ時に斬られた。

部屋は少々黴臭い、2階の陳列室に案内無造作に束ねられた小島日記が山のようにあったのが印象的。当時の様子も含め新選組を伝える貴重な記録であった。
小野路から山越えして、高幡不動へ、

⑦高幡不動尊 「近藤・土方両雄を称える「殉節両雄之碑」、歳三像」
両雄之碑のご案内で無事に役割を終え、任を解いた。
心配した台風の影響もなく、駆け足で廻った半日の「新選組墓参ツアー」であった。

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