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川澄寛主にお悔やみ

高幡不動は国指定の重要文化財を多数保有し、古来関東三不動の一つとして親しまれ境内は参拝客で人並み絶えることなく、賑わいを見せている。
その高幡不動の川澄貫主が2017ー10ー10亡くなられた。
平成元年(1989)現貫主に就任され、お不動様の重文の大修善など古来残された歴史物を整備、修復するなど寺門興隆に尽力されている。
◇川澄貫主がやり遂げたもの

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  <川澄寛主>

高幡不動尊の不動明王像は、国指定の重要文化財で、その不動明王像の高さは、丈六(坐像三メートル)で平安時代の作として有名で、平安時代この大きさの仏像は関東に四体しかない。
この不動明王像は、平安時代後期に高幡の地で造立され、関東地方の不動信仰の先駆けになったことは間違いないと言われている。
その不動明王像と約二万点の収蔵文化財の総合調査が昭和六十年から六十一年にかけて、文化庁と東京都の調査班により、行われ、さまざまなことが解明された。
中でも丈六の不動明王像は、正面から見ると威風堂々としているが、内部はぼろぼろに劣化しいつ崩れても不思議でない状態で、早急な修理が必要であった。

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         <修理した初代の不動明王像>
高幡不動尊では、年間二千百座以上の護摩修行をとり行なわれ、ご本尊の不動明王のお姿がないということは考えられない。川澄貫主は、この修復事業は課せられた仕事と受け止める。
修復は、京都国立博物館国宝修理所でしかできず、修復期間は4年あまりとのこと。
その間、伝来の護摩修行を継続するために、初代ご本尊さま不在中に身代り本尊像を造立することになったが、費用は三億円もかかり「大変だなぁ」言うのが、正直な気持ちであった。
浅草寺の雷門と風神・雷神像は、松下幸之助氏が一人で納めたもので、それにならい寄進者探しに走ったが、見つからなかった。
本尊不動明王が平安時代から現在まで、大勢の参詣者のお力で護られてきたことに改めて気がついた。
その日の護摩修行から参詣者お一人お一人に一口一万円のご寄進のお願いを申し上げ、四年間に一万人近い方からご寄進をいただき、平成9年(1997)4月に新たに造立した身代りの丈六不動三尊をお迎えすることが出来た。
従って不動明王像は二つあり、護摩炊きが行われる不動堂は身代わり、初代は奥殿で参拝客を迎えている。

◇新選組を支えた一人

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<新選組とも関わり深い高幡不動の仁王門>

、新選組副長土方歳三の生家は高幡山の檀家総代の旧家である。歳三の姉が嫁いだ日野宿名主佐藤家は高幡山の有力な信徒である。
昨今の新選組に対する想いが膨らむ中、大河ドラマで光を浴び、新選組フアンの増大は高幡不動でも大きな影響があったと思われる。
奥殿にも歳三の不動への心使いの手紙や境内には歳三像、勇と歳三を称える両雄碑などまさに新選組を支え、縁の寺として高幡不動であり、その寛主も特別な想いもあったかと思われる。
貫主個人では石田寺の歳三忌の法要の供養。2003年の中外日報社の主催の作家浅田次郎氏との「土方歳三と新選組」の対談で檀家寺、館主の深い語りは想像以上であった。小僧時代に高幡に取材に来た司馬遼太郎と会い、司馬遼の歳三への温かさ感じたと仰られた。京都チャンネルの放送では土方家の過去帳の紹介。などなど、輩が知る限りでも是ほどあり、それ以外に多数あると思われるが、新選組との関わりの深さを物語る。      

◇火災の凶事

Image2111        <火事で全焼した普門寺、本堂>

川澄氏は高幡不動の貫主でもあるが、一方では普門寺の住職でもあった。
日野宿本陣の甲州路を挟んだ向かい側の路地に普門寺があり、2014年1月11日に火災があり、本堂とご自宅も炎上した。狭い路地のために大型車両が入れず、大量な消防車両が甲州路に渦巻き、煤で真っ黒になった消防士が走っていたことなど、鮮明に記憶に留めている。
本堂は壁を残して、内部は完全に焼き付けており、再び戻すことの出来ない歴史遺産を瞬時で失うことは大きい。
幸いにして、本堂の南側の有形文化財に指定されている江戸時代後期の「観音堂」は無事であったのは救われた。
その復興の目途が立った矢先で、今回のご当人の凶事であった。

◇護摩修行

Img_96501       <不動堂にて身代りの丈六不動三尊での護摩炊き>
今年(2017)3月に新選組150回忌供養祭が大々的に行われ、その時の供養が大導師の役名で貫主であった。式終了後、演台で新選組末裔に囲まれ中心に記念撮影が行われ元気な姿が、昨日のようであったが、突然の訃報に驚いた。
折しも、訃報を知らされた翌日に、観光協会に依頼され、東南アジアの若者20人余りの観光案内でお不動さんで一緒に護摩炊きの修業をした。
川澄寛主は、観光協会の会長でもあり、お不動さんはじめ、その影響は計り知れないものと裏舞台では混乱と思っていた。しかし、当日は何事もなかったように多数のご住職の元、伝統の護摩炊きの儀式は粛々と行われた。

継続される護摩炊き、それも、これも川澄貫主から引き継がれたお不動さんの大事な行事である。

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