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多摩地域にも及んだ近藤勇の処刑

年初、new musical出演の葵ひなたさんが、遥々宝塚から日野へいらっしゃいました

当日、5時の閉館間際、既に日は落ち、真っ暗の中、図らずも案内する機会があり、終始輝いた目で、残された幕末の雰囲気を確かめて居られました。
拝が案内した中で一番印象的な話としては慶応4年4月25日近藤勇が板橋で処刑され、墓石を埋め、約100年後、埋め戻され、地表にその姿を表し深い眠りから覚めた事実が衝撃的であったようで、Facebookに書かれてあった。
勇処刑にからみ、失礼ながら、誤りもあり改めてここで触れておく。

       <八王子戸吹 桂福寺内「剣聖光武神」名の廟堂>

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                                <復元された宗家の墓>

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土に埋めたのは八王子戸吹、桂福寺の天然理心流の宗家初代、近藤内蔵之助と二代目近藤三助のお墓である。
御存知新選組の武術は芹沢鴨や伊東甲子太郎が粛清され、残った近藤勇、以下は天然理心流である。
浪士組から新選組へ池田屋騒動などで京の治安維持に活躍した武術は天然理心流であった。
近藤、土方、沖田も天然理心流で取り分け、沖田も剣さばきの腕が評判であったようである。

文久3年(1863)3月未だ新選組に成る前、壬生浪士時代に、会津藩松平容保公の要請で剣術稽古として、天然理心流を披露した。京の治安維持を、預かる会津藩主の前での拝轄を許され、武術の披露に一同は感動したと言われている。

勇の処刑された事実が天然理心流がらみで多摩地域の八王子戸吹に及ぶことを恐れ、宗家、二人の墓は土の中に埋められ深い眠りの中へ入った。

戊辰役で敗れた幕府軍の配下の新選組武術である天然理心流は賊軍の武術として、一切まかりならぬと、明治維新以降、教えず見せずで水面下に隠された。
時代は変わり、昭和45年、天然理心流、二代目近藤三助の末裔の坂本家ら関係者が掘り起こし、八王子郷土資料館で粉砕された墓石を繋ぎ合わせ、再び日の目を浴びた。

正式な天然理心流は刀術、棒術、柔術、居合術の総合武術である。
天然理心流を世間に名を広めたのは新選組であるが、刀術だけであることから、本家本流の系譜からは区分されて居るようである。

ぺりー来航時、治安維持の機運が生まれ、名主でも自宅に稽古所を用意し剣術稽古に励んた。
日野の名主佐藤家や小野寺の名主小島家も天然理心流の一門から近藤勇や沖田総司が出稽古で訪れ、剣術の腕を磨いた。

日野宿、佐藤家も稽古場が誕生し「佐藤道場」が有名であるが、現在の佐藤家は火事で燃え、文久3年に完成する。
玄関に長屋があり、建物建築中は長屋で借住まい、建物完成後本宅に移り、空き家の長屋を佐藤道場に開設した。
開設は慶応の時代になっており、新選組は京に居る時代のため、佐藤道場から新選組が育ったことはなく、既に農兵隊の時代に変わっている。
天然理心流だけでも、深い話があり、時間の関係で説明は出来なかった。

         <葵ひなたさんと教えてもらった>

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予定される新選組ミュジカルには、葵ひなたさんは沖田総司役。
テーマは『碧く散る』新選組の遺志を組んで碧く散り、聴衆に感動を、武勲を日野から見送りたい。

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