« 2018年5月 | トップページ | 2018年8月 »

「多摩と周辺地域での新選組」上野文化会館講演を実施

幕末史を追う某研究会から新選組をテーマに講演を頼まれてしまった。
会は研究の名前が付くぐらいに鋭い洞察力を背景に歴史事実を徹底的に調べ上げ、発表される会合である。発表する側は勿論、聞く側も、知識の集積から研ぎ澄まされた 論客の集団である。
参加される方には日頃の研究テーマの講演はもとより、こつこつ積み上げた膨大な資料を背景に 自論を書籍まで出版される学者、研究者までおられる。
こうした中で、多少新選組絡みの史跡に身を置き、興味本 位から身につけたじじいの話では場違いあろうと思いつつ、うかつにも引き受けてしまった。
講演を依頼されるのは大変光栄ではあるが、底の浅い、知識を前提に耳の肥えた専門家を前に果たして講演が勤まるのか、全く自信がなかった。
講演場所は花のお江戸でもあり、文化の中枢を担う、上野文化会館の会議室である。

Image2◇日頃の鍛練の成果

「おい、お前え、そんなにまでして、何を語るの?」
都内でも唯一の幕末の空気を残した建屋を舞台に新選組など関わる史実は宝の山であった。そんな史実を関連場所まで行き確かめ、説明の中に味付けしてゆく。
月2回で案内を続け、10数年積み上げから、歴史を通じて来館者と一緒に楽しんでゆく。
新選組関連の情報が渦巻く中でたっぷりと純粋培養された、新選組オタクが全国から沢山集まる。5月の祭りはそのピークで、かっては1000人/1日越えもあり、限られた時間であるが、真剣な眼差しで聞いて頂けるのは、喜びさえ生まれてくる。
そんな現場から生まれた体感を披露し、本日の戦いに挑んで見る。

◇上野戦争の真っ只中
上野と言えば戊辰役の行く末を占う「上野戦争」真っ只中の場所である。
武力倒幕を目指す薩摩藩・長州藩に対して牽制するため15代将軍、徳川慶喜は朝廷に大政を奉還した。
武力倒幕派は「王政復活の大号令」でクーデターを起こし、鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争が始まった。旧幕軍は戦いに敗れ、慶喜は大阪から江戸へ引き揚げ、戦う意志も無く、江戸城を去り此処上野で謹慎した。
徳川の天領から徳川に尽くしたい報恩意志から、多摩地域から決起に溢れ、彰義隊に参加している。
こうして直参、佐幕派 諸藩の脱走者、浪人とあつまり、彰義隊全体では2000~2500人と言われている。

Syougi503
Syougi507
圧倒的な兵力、アームストロング砲など優勢な火器を持つ新政府軍に対し、彰義隊は刀を持って切り込み戦況をささえたがあっという間に、凄惨な結果に終わってしまった。
新政府軍によって火をかけられ、焦土化してしまった。
「大雨をやみなく砲声ますます激しく上野より出火あり、巳の刻ごろより、火勢天をつき火口45ヶ所になり、老幼婦女病者をたすけ、或いは葛篭(つづら)夜具包を背負ひ、東 西にはしり、南北にはしる」と、慶応4年5月15日の「新聞日誌」は上野戦争を報じている。
そんなことを多少意識しながら上野へ参戦、当日も梅雨真っ盛り、傘を離せない雨の中であった。

◇華やかな会場と隣り合わせ
上野文化会館は東西の有名なアーチストや楽団の演奏会場として名にし負う披露の場所でもある。
その会館と同じ建屋の4階に数室の会議室があり、その一つが講演場所であった。
ガラス越しの1階の華やいだ雰囲気のホールから、専用口で厳しいガードマンの監視の、4階まで上がると関係者だけが集まる、静粛な雰囲気での環境に一変する。

◇講演のお題目は
「多摩と周辺地域での新選組」
限られた時間の中、以下をポイントに披露した。
①名を広めた新選組の剣術、「天然理心流」
維新後、新政府から賊軍の武術として禁止された。板橋で近藤勇が処刑され、ことが及ぶことを恐れ、八王子戸吹、桂福寺の天然里心流宗家の墓を埋めてしまった。100年後、傷だらけの姿で深い眠りから覚めた。
②日野剣士が薩摩浪士と乱闘となった「壺伊勢屋事件」
新選組にならず日野に残った剣士は薩摩浪士と八王子の妓楼で大乱闘。双方で犠牲者が生まれ、日野宿から、身近な人が2人が犠牲となった。
③甲陽鎮撫隊として戊辰役の東の戦い、「勝沼戦争」
甲州街道の勝沼の柏尾の深澤川を挟んだで適地で甲陽鎮撫隊は陣をはり、善戦したが、三方から攻撃された新政府軍に敗れる。勝沼戦争に参加した日野宿の名主佐藤彦五郎一家も追われ、五日市に逃避する。その逃亡先の羽生家の2万5千坪に及ぶ広大な敷地と同地に残される羽生一族。
④歳三の菩提寺である「高幡不動」や多摩周辺地域に遺された史跡
「高幡不動」に残され、近藤、土方を戊辰役で讃える二人を讃える「殉節両雄碑」。碑の建立に篆額の揮毫作成に松本良順から、静岡に隠棲中の徳川慶喜に申請したが、文面にただ黙って波を流すばかりで、結局断念し、松平容保に依頼した。主君に尽くし亡くなった二人に背を向けて逃げてしまった、自責からの涙であった。

03061121_56db9424445d11111


出来ればオーバヘッドプロジェクターなど文明の利器を使いたかったが、叶わぬため文書化したら17Pにもなる、分厚いものになってしまった。
学校の教室の様な部屋で、聴取側は大きな机と椅子が用意されている。講演側は講演用の台を中心には ホワイトボードが左右に用意されてあった。Ph_chukaigi13_11_2
参加はフリー、何人集まるかは出たとこ勝負である。講演開始前に30数名におよび、資料不足となり、講演後送付することになった。
予期以上の参加者はひとえに新選組に対する、熱い気持ちなのだろうかと思えた。

◇講演も無事に終わる
長くて重い講演は質疑応答含め、制限内の80分に何とか終えた。
内容はともかく、途中でしり切れにならず、一通り項目は舐めて、納まった。原稿とは別に、タイムテーブルを準備し、 時折、テーブルをちらちら見ながら、時間調整した。
話したい項目はそれぞれ準備したが、時間を最優先し、読み飛ばしてしまったことは悔しいが話を戻すことは出来ない。
押し流されるようにテーブル優先に、これが講演なんだと、改めて思い知らされる。
最後の質疑は予期以上に多数あった。新選組に関わる感心の深さを物語る。底の浅い知識を背景に期待に添える回 答が出来るのか心配であったが、何とか乗り切った。
講演開始依頼、休み無くしゃべり続け、用意したお茶を口にする余裕も無く、スピーチングマシンは喉も痛く、限界であった。

Image112
会場を後にして、文化会館の向かい側は道路を挟んで、JR上野公園口改札口、その2階が和食レストランぶんか亭である。
急ぎ足でで駆け上がり、早速生ビールで乾杯する。、枯れた喉を潤し、漸く、やり終えた達成感に浸れた。
講演を言い渡されてから、数カ月長い期間飼う真綿のようについてまわり、苦しみ、準備した労苦をこの一時で吹き飛ばし、リセット出来た。
既に真っ暗闇の中、薩摩の西郷どんも、今宵は幕府側の新選組を咎めることなく、歴史の一時として豊かに見送ってくれる だろう。

Image1111
当日の講演内容は多摩と周辺地域での新選組」 で紹介しています。是非ご覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年5月 | トップページ | 2018年8月 »