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武田信玄の陣中食『ほうとう』

風林火山は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている。
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称である

◇武田信玄の強さ

        <風林火山の旗をかざし、赤備えの軍団>

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    <武田勝頼香まつりから、甲冑姿も、まぶしく勇ましい>Img1511武田信玄には赤備えの軍隊があった。武具、甲冑を赤一色で統一したド派手な見た目の軍隊である。
さらにその軍隊は騎馬隊で構成されており、戦場では半端ない強さを発揮した。
武田信玄の掲げる旗印『風林火山』の『火』の意味は、侵略すること火の如しであるが、武田の戦法もまさにその通りだったようである。
敵陣に、騎馬隊が一気に突っ込んで先ず敵陣を崩す。追い打ちをかけるように槍隊、歩兵が更にに突っ込んで敵を倒す。怒涛の攻撃で敵を圧倒し、甲斐を制圧し、周辺地域も配下に領地を広げた『武田の騎馬隊は最強』『武田の赤備えは最強』と世に有名になった。

◇ほうとう
<笹子峠を越えて西側は甲府盆地、ここ一帯を国中と言われる>
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この弛まざる武田軍のエンジンを動かす燃料は『ほうとう』あった。
武田信玄の領地甲府盆地は国中と言われ、その代表食は『ほうとう』である。うどんとは一線を画し、食塩を全く加えないことによって、こしが少なく、汁の中で煮込むと、麺からでんぷんが溶けてとろみが付くため独特の風味が作り出される。味噌を主体に薄く伸ばしたもちもちとした独特の食感は堪らなく美味い。
この『ほうとう』は戦国時代同地方を席巻した武将、武田信玄の陣中食であったと、言われ、身近な食を通じて果てしない戦国武将のロマンに繋がってくる。
郷土食として誕生し、同地に根付いている背景にはこんなことが言われている。
慶長3年(1598)の見地目録にある甲斐の米の生産は22万8千石、上杉謙信の39万7千石で6割程度で、米が採れない土地柄から、小麦、大麦他の雑穀が中心の粉食文化が発達している。
群雄割拠の戦国時代、武田、今川、北条、上杉、織田の激しい戦いの中、戦略の一つに『塩』を巡る
駆け引きがあったことなど、面白いが如何に大事であったかを物語る。
永禄10年(1567)武田信玄は今川氏との同盟を破棄し、東海方面への進出を企てるが、それに怒った今川氏は北条氏と協力し、武田領内への「塩留め」を行う。
海に面していない甲斐・信濃(現在の山梨・長野)武田の領地は、塩を取ることが出来ず領民は苦しんだ。
この、武田の領民の苦しみの事態をみて、見過ごすことが出来なかった、信玄の好敵手上杉謙信は義を重んじ、越後から信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を救った。
由来「敵に塩を送る」と言う言葉に繋がっている。
今日、有名な言葉として知れ渡るが、それ以上に敵対関係にある相手でも、相手が苦しい立場にあるときに救いの手を差し伸べた上杉謙信の懐の深さを思い知らされる
流通機構が発達した今日、容易に手に入る塩も、諺に載るぐらいに、当時では海から離れた土地では希少な存在であった、事が判る。
常食に近い、「ほうとう」の手法に希少な塩を使わない、製法を練り上げたことは充分考えられる。
仕上げられた製法から、独特の口当たりののもちもち感はこんな意外な所から生まれている。
◇陣中食としての『ほうとう』

Img155小麦粉、味噌、鍋さえあれば、山中であろうと場所を問わず何処でも簡単に作ることが出来る。
消化も良く、直ぐにエネルギーになるから陣中食としてさ最適である。
戦いの移動過程で野生動物の出会いに狩りで捕えたイノシシ、鹿などを鍋にぶち込み、一段とバラエティに飛んだメニュウにしたに違いない。
ほうとうは米に比べて軽く、機動性を求められる、山野の野戦移動など『疾如風』(疾(はや)きこと風の如く)武田軍の強さを支えたのもこの軽便性でもなかろうか

◇余りの美味さに

Img_761611甲州街道、旧勝沼宿の西側に位置する勝沼町の、御屋敷にある慶千庵で中庭の風情を確かめながら、武田信玄の思いを馳せながら、じっくりと『ほうとう』の味を堪能した。

  <ドンブリ鉢に一杯に豊かな食材とあわせ、濃厚なほうとう>

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これから陣移動にも関わらず、大きなドンブリに味の染みこんだ野菜、ほうとうなどなど、かなりのボリュウムに、美味さの余り、幸せ一杯と感動し、完食してしまう。
加齢と共に食も狭くなった昨今、並以上に食べてしまい、「疾(はや)きこと風の如く」とはほど遠い食後の立ち上がりであった。
「ああ、これではとても武田軍に付いていけないなあ~と思いつつ、よっこいしょ」と重くなった体にムチ討って、甲州街道を東に向かった。

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