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本陣の梅も芽吹いた

◇歳三、没後150年
歳三が函館一本木関門付近で亡くなったのが明治2年で西暦に換算して1869年である。
今年が2019年であり丁度没後150年目の節目にあたる。
函館で旧幕府軍の幹部の一人として新政府軍と戦い、銃弾に倒れ生涯を閉じた。
旧幕府軍は降伏、日本は新政府の元、新しい時代を迎え、幕府を支えたサムライ文化の終焉でもあった。
平成29年度に、市内を通る中央線、京王線、多摩モノレール沿線24区市を対象として実施した「日野市認知度等調査」では、新選組と聞いて思い浮かべるキーワードの第1位が「土方歳三」であったようである。
 土方歳三の高い認知度を通して、市の認知度向上に繋げるため、歳三没後150年を迎える本年は、通年にない『歳三』にスポットを当てた活動が予定されているようである。
先日、物凄い烈風の中、市役所前の公園で僅か10数人前後でセレモニーを行われ、何事と思ったら、歳三ラッピングタクシーのお披露目であった。

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寒さの中もあって、関係者だけのセレモニーであったが、怒派手な車両が目についた。
タクシー車両として市内に疾走し、いやでも目に入る。
更に市内を縦断する鉄路では中央本線の特急の先頭車両にも歳三の絵姿が飾られ、甲陽鎮撫隊の影を追うように甲州路を疾走するImages1
目につきやすい、タクシー、特急列車が先ずは歳三宣伝の一役を担っている。
そんなこともあって、周囲は緩やかに歳三で燃えている。

農家に生まれながら、武士らしく生き、その統率力から旧幕軍の幹部として上り詰めた歳三は日野が生んだ幕末のヒーロである。
2004年、大河ドラマ新選組として、山本耕史がその役回りを見事に演じ、メデイアを通じて、新選組が再び火がついた。
あれから既に15年余りの時の経過、その大河ドラマを知らない世代もかなり居るぐらいにフアン層が変わってきていることも事実である。
その歳三(山本耕史)が再び日野にやってきた。Img1791
本陣に訪れ、応時を思い出しながら、土方を演じたことは役者人生でも大きな出来事の一つであったこと、一般市民との出会いで声をかけられ、新選組と土方歳三が、しっかり根を降ろしていることに感動しているようであった。丸みを帯びた風貌に10数年の経過も歳三の目がらんらんと輝いていた。

◇本陣の梅が芽吹く
日曜日もあって、木枯らし吹く、寒い日であったが、東京地方は全く雨がなく、からからの陽気。極寒の朝、中庭でホースで水撒き、水回りが凍りつき、思うように出てこず、敬遠されている。

「だから敢えてやってやるぞ」と水撒きに取り組む、漸く出てきた噴射水に、土の部分からもうもうと土埃が舞い上がり、たちまち大地に吸い込まれてしまうが、周辺の木々を含め、恵みの水洗礼に生き生きと蘇った。
中庭、回廊脇のの2本の梅の木、日当たりの良い方が早くも真っ赤なツボミが着実に春の訪れを伝えている。

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1月もあっと言う間に押し迫るこの時期であるが、時代をさかのぼると歳三の姉おのぶさんが佐藤家に嫁ぎ33年間、子育ても果し、明治10年1月、正月を迎えて間もなく47歳で雪の降る日に遺ってしまった。
梅の咲き具合から、彦五郎と生前の、妻おのぶさんと対話していたことを亡き妻との思い出を俳句で飾っている。
「散る雪や柳を見ても、梅見ても」
建物の前の真っ赤なツボミの梅の木に、多趣味の本郷名主佐藤彦五郎の俳号、春日庵盛車の一句に、以下の言葉を併せ残している。
33年の春秋も実に夢の如く、只幻に残りて一個の木枕へと応えず、(おのぶよと言っても応えなく)青木翁の愁情も今更思いやられるばかり(青木翁が亡くなり、寂しがっていたがそのときに余り聞いていなかったが、自分の妻を亡くして、今更思いやられる)
生前夫婦間で交わした対話に出てくる柳、梅を雪を素材に幻想的な世界、残された木枕を前に悔やむ思いを切々と伝えている。

そんな舞台装置を背景に茶間から見える姿が改めてこの俳句を作った彦五郎さんの感性が彷彿される。
日中は切れ目なく全国から来館者を迎え、恐らく新選組フアンが根強く繋がっている。
そんな話に一生懸命聞いて頂いたフアンに何か響くものがあったようで、嬉しかった。

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