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深山の名勝を伝える「小石川後楽園」にゆく

小石川後楽園に散策がてら行ってみた。
後楽園と言うと、読売巨人のドーム型球場、ジェットコースター、ショッピング モールがある都市型エンターテインメント複合施設が浸透してしまうが、その隣接地帯に、水戸徳川家の手を尽くした深山幽谷の世界が残されている。
JR中央線沿うように流れる神田川を水道橋駅から渡れば目の前が歓楽地帯にあり、人並みの絶えない、雑踏でごった返す都会のど真ん中にある。
しかし、一連の後楽園のネーミングに押し流され、ここ小石川後楽園が後楽園の誕生の原点なのである。
今日に至って後楽園に敢えて小石川の冠をつけているのは識別するための呼称のようで、ここが後楽園の歴史の原点をであることを、余り知られていない。その広報活動を含めガイドさんは拘りをもって冠をつけず「後楽園」の呼称で通している。

慶長5年(1600)9月関ヶ原で勝利で家康は天下取りは一段落。ほっとしたのか、間もなく9男、10男、11男と子宝に恵まれた。それぞれ、尾張、紀州、水戸の御三家と言われる家康を継ぐ始祖が誕生している。その11男「頼房」水戸家の始祖なのである。
36万石の小藩主ながら負担となる参勤交代を唯一免ぜられる水戸藩誇りとなった「江戸定府」となっており、水戸徳川屋敷が誕生する。
初代「頼房」と二代「光圀」が継承し長い歳月をかけて寛永6年(1629)小石川(現後楽園)に9万9千坪の広大な上屋敷が回遊式庭園として築造される。

<水戸光圀>
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誉れ高い明の徴士、朱舜水は没落する、明から亡命する。光圀は人柄と秀でた学問に師として迎え、亡くなるまで礼を尽く厚遇している。
光圀は後楽園の造園にあたり、身近にいる朱舜水の意見を取り入れ、後楽園と命名され中国趣味豊かな庭園が誕生する。
その中国趣味として代表的な事例は、「円月橋」、「西湖堤」などで、具体化され、朱舜水の思いが残されている。
日本における各地の大名庭園作りに少なからず影響していると言われている。

<朱舜水>

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後楽とは遺臣「朱舜水」から名付けられ士は当(まさ)に天下の憂いに先じて憂い、すなわち 天下の楽しみに後れて楽しむ べしと言うことで「先憂後楽」は水戸藩の藩風になっている
中国明の遺臣「朱舜水」の書「後楽園」という扁額を入り口に掲げたと言われている。

園内は池を囲むように散策路があり、出入り口を起点に反時計方向に周回する。、熱を帯びた ガイドさんの案内に凡そ2時間、水戸徳川家の遺構を背景にタイムスリップ出来た。その代表点を紹介する

◇渡月橋(とげつきょう)

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京都の嵐山は平安時代の貴族の別荘地で観月の名所と言われている。それに類したものを後楽園でも作り たいと亀山天皇が仲秋の名月として月が橋の上を刻々と渡る風情を確かめられることから月橋(げっきょう)と言われている。
 流れる川は京の嵐山の下に流れる大堰(い)川で、現在の名称は桂川で統一されている。
 川と大小の石の配置、わずか10mほどの土橋の真ん中に立ち止まってみると、嵐山の風景を映している。

◇西湖の堤

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中国の杭州(現在の浙江省)の西湖の堤に見立てたものである。西湖の堤は中国の名勝地で現在世界遺産になっている。
 堤は道の両側に湖が広がる歩道である。現物はまるで西湖の上を散歩しているかのように錯覚してしまうと言われ、その神秘的な美しさは見る者を圧倒しする。
 美しい湖畔は季節や時間によって表情を変え、多くの人々を魅了している。

◇通天橋

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堰川にかかる橋である。紅葉の名所、京都東福寺の通天橋を模して造られたようである。
鬱蒼たる自然の中色鮮やかな朱色が、目立ち存在感を表している。
回遊路の頂部にあった観音堂から、今度は階段を一気に駆け降りと行きたい所だが、不安定な石段に、一歩 一歩確かめながら降りてゆく。ここは春が桜、夏は新緑、秋はもみじ、冬は落葉樹で四季折々の風情が確か められるが,皆足元に集中し、周りを見る余裕もない。
 紅葉の季節にはまた変わった風情が確かめられる絵になる場所である。先ほどの危険な急階段から、緩や か勾配の橋上で渓谷の風情を眺め、小休止出来る。
◇小廬山の山頂から

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山岳路から離れ、ぽっかり空間に晒され、小道を行くと小廬山の展望台に出る。
ここ小廬山は中国の景勝地から生まれ林廬山名前をつけた。
足元もおかめざさを超えて、園内の素晴らしい眺望が確かめられ、その風情に吸い込まれ、離れがたい場所である。鮮やかに刈り込まれた表面が、狂いなく、細部まで徹底した手入れに職人の心行きを感じる。
その背後は高層のビル群に取り込まれている様子が伺われる。その左側がお碗を被せたような ドームが控える。 時々、あがる歓声は遮るものなく、直に園内に響き渡る。その姿は見えないがジェットコースターの急降下での悲鳴だけが、あたりの静寂な空気を破り、伝わってくる。


◇円月橋

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この橋は石を組み合わせ、石と石が横にぶつかり合う力を利用しており、上からのひずみに強い。
側面のタイルの石積みも拘りを持って、デザインされている。 朱舜水の設計指導で製作 橋が水面に写る形が満月と言われでいるが、舜水の豊かな発想が生かされ、水面に輝いている。


◇藤田東湖の碑

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園内の西北端に藤田東湖の碑がある
幕末時、水戸藩は抗争の嵐の中、西郷隆盛・、吉田松陰など全国の尊皇志士に大きな影響を与えた藤田東湖は水戸学藤田派の後継として才を発揮し、水戸学の地位を確立する。
徳川斉昭に絶大な信用から藩政を支えたが、 尊皇攘夷の運動は水戸藩から始まり、桜田門外の変、東禅寺焼き討ち、坂下門など皆、水戸が出てくる。
その指導者は斉昭で、具体的な推進者は藤田東湖らの側近であった。
斉昭を支えるのは下級武士が殆どであり、中には農民出身も含まれ、 成り上がり者が権力を握り鼻を高くしたから天狗になったと言われている。
 藩の内政を重点に家柄の高い保守門閥派と、この天狗党との間に抗争が展開されていく。
 安政2年(1855)に発生した安政の大地震の際、母親を守ったが自身は力尽き下敷きとなって圧死する。


◇大泉水

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この庭園の中心的景観が大泉水と言われている。水面に浮かぶのは蓬莱島で中国に古くからあった神仙思想に基づく島で、東方のはるか彼方の海上にあったと言われいる。そこには、神仙人が住んでおり、今も幸福な生活を送っている理想郷だとの説く思想である。
 蓬莱島の先端に築造した庭師・徳大寺佐兵衛にちなみ「徳大寺石」や弁財天を祀った祠がある。


◇双葉葵で最後を飾る

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後楽園の園内周回、コースの最後を飾るにふさわしい葵の御紋に迎えられ後楽園の周回は終わった。加工された装飾品でなく、独特の模様をあしらった生の葉っぱは実に鮮やかに輝いていた。

詳細は記事はこちらでも、紹介されています。ご覧ください。
「深山の名勝を伝える小石川後楽園」

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