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「日野宿本陣」は開いたが

人から人への接触から新型コロナウイルスの感染が明らかになった。
このコロナ禍から身を守るには接触機会を少なくすることで、
stay homeで外出を控えるように国なり行政からの自粛の要請が出ていた。
感染者数の増台傾向に緊急事態発生となり、半ば強制的に規制が強化された。
接触機会の多い、飲み屋、食堂の接客業は元より、映画館、劇場など人の集まるところは網の目がかかり閉鎖に追い込まれた。
人の集まる娯楽、催し場などの公共施設も当然閉鎖された。
日野の象徴的な文化施設レンガホールの当面予定されていた講演会や演奏会も軒並み来年に延期されていた。
世の中の緊縮、規制から、全国から幕末フアンが集まる土方歳三の命日に近い5月の土日に行われる年一度の新選組まつりも遂に中止になった。
日野の観光と歴史史跡の年間1万数千の入館者を実績を誇る日野宿本陣も3月半ばで急遽閉館となった。
閉館中でも築後150年余の和式家屋に自粛中は何時でもフアンを出迎え、再開出来るように、開館中と同じように関係者により清掃は元より、普段出来ない障子貼りなど供えていた。
無言の建物相手に向き合い、手抜きなく、維持することは、大変なことであるが、出迎える側として早い自粛規制の解除を願う気持ちからの地道なものであった。

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しかし時間の経過と共に規制の効果からかコロナの感染者が緊急事態発生時よりやや鈍化した。
そんな背景から、関係者の願いが叶い、6月に再び開館となった。
しかし感染症対策と言われる、「密閉」、密集」、「密接」の3密を避けることを背景に互いに手が届く距離で会話や発声、運動などをすることを「密接」回避で残念ながら案内は外され、我々の出番は見送られた。
<暫定案内>
玄関・控の間・茶の間にそれぞれ説明板が用意され、建物の中の役割、機能など簡単に案内されている。
読めば判るが、案内板である以上、簡単な説明に留まっている。

こんな環境下、熱心な来館は尚続く、6月中の来館は本陣、歴史館夫々500名弱の来館があった。過去の通常の入館者数から言えば約半分ぐらいの来館で、静かな環境の中での幕末に浸り、確かめているのであろう。
<再びの案内機会にかける>
都内では唯一残された本陣であり、150年前の幕末の空気感を直に触れられる、貴重な施設である。
全国にあるこうした施設は大河ドラマに連動して紹介されるが、人気スポットも大河の終演で閑散としているが、当館の場合は、根強い新選組フアンを底流に人気アニュメやTVの紹介から息の長い、来館が続いている。

<閉じていた表門も開いた>

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<象徴的な格式の世界は大名を迎える式台と言われる玄関口>

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日野宿本陣は参勤交代で、休憩所として大名を迎える為の格式の世界で、一般の家との違いを見て頂くを基本に、歴史の中での当館の姿を見て頂く。
<討幕の流に本陣がどう関わったか>
日野は元々徳川に仕える佐幕の地盤である。
幕末にその幕府が倒れ、明治維新を迎える
その変革の波を受け、この建物がどうかかわりを持っていくかが出入りする人物を含め、辿ってみるのも面白い
①己を守るための自意識から名主を中心に流行った天然理心流の道場
②名主佐藤彦五郎の元に養育された土方歳三が浪士組への参加。京の治安維持で新選組での活躍。
隊士募集で江戸に戻り休憩した歳三の姿。
③鳥羽伏見の戦いで敗れた新選組は甲府行き目指し甲陽鎮部隊が此処で休憩した
④その鎮部隊が破れ、新政府軍の探索の手。関与した彦五郎家族の離散逃亡
⑤国内転戦の果て、函館で歳三の戦死と訃報を養育先に伝える市村鉄之助の来訪
⑥維新後、明治天皇の来訪とその大集団に伊藤博文、三条実実ら討幕を主導した人物の帯同。

建物の全体の流れからそれぞれの繋がり、此処で暮らした人々の姿、訪れた人々の往時の姿など、時には熱く語りう伝えることが、ある種入館者の期待感に繋がるのではと思っている。

そんな底固い、来館者の熱い眼差しを背景に、少しでも役に立てばと案内役を仰せつかっている。
<感染増大に先見えず>
解かれた感染対策が再び猛威を震い、ふたたび破天荒な感染者数に驚き、何時平穏な生活に戻り、本来の本陣案内が出来るのか、熱い眼差に幕末を通じて語り会える機会を待つしかない。
待機以来、8月で既に半年を迎えるが、未だ見通しが立っていない。

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